妖精
そいつが見えるようになったのは、あの占い師につまらない事を言われてからだ。 待ち合わせの喫茶店で、冷めたコーヒーと山盛りになった灰皿を前に万里を待っていると携帯が鳴った。 「ごめん典之、今日行けなくなったわ。致命的なバグが見つかって、それ潰さないといけないんだわ」 この前と同じような事をまた言っている。まぁ納期が近いからしょうがないと思うけど。 「分かった。じゃあがんばれよ」 「今度は必ず行くから」 また納期を過ぎてもプログラムが完成しなくて、当分会えないような気がした。 「あまり期待しないで待ってるよ」 「それじゃ」 万里は笑いながら電話を切った。まだ笑えるところをみると余裕があるという事か。万里が来ないならこんな店に居てもしょうがない。席を立って俺は行き着けのバーに向かった。 バーへの近道の裏通りに入ろうとすると、その角に女が座っていた。机の上に手の絵が描かれた行灯のようなものがのっているところを見ると手相占いか。女の手相占いなんて珍しいなと思いながら通り過ぎようとすると、その女占い師に「もし」と呼び止められた。 よく見ると若い女だった。それもかなりの美人だ。 俺は占いなんてものは全然信じない質だが、どうせ暇だったし相手がなかなかの美人だったのでついその占い師の前に行ってしまった。 「貴方は悩みがございますね。……そう、それは恋の悩みのようですね」 ロウソクの仄かな明かりの中に妖しい微笑みを浮かべながら女は言った。 正にそのとおりだったので少し驚いた。でも占い師なんてのは口からでまかせを言って、それで相手の様子を見て話を進めるものだ。 俺はタバコに火をつけてから言った。 「よくわかるな」 「それはもちろん」 「でもアンタ手相占いじゃないのか?」 「オーラ占いも兼業でしております」 女は余裕を持ってそう切り替えした。 オーラ占い? そんなものもあるのか。まぁどうでもいいが。 「で、俺の恋の悩みって奴はどうやったら解消されるんだい?」 「まずタバコをやめること。そうしないと悩みが解消されるどころか貴方から恋という恋は逃げ去ってしまうでしょう。これから一生ずっと恋人は出来ません。当然結婚も出来ません。恋だけではありません。仕事、金運、健康、すべての幸運がなくなるでしょう。もう人生真っ暗というほどに」 「何ぃ?」 あまりの言われように俺はくわえたタバコのフィルターを噛みきりそうになった。 そんな俺の様子など気にする風もなく、女は立ち上がって俺の方に顔を近づけてきた。濃厚な香水の匂いがした。女は目を閉じて真っ赤な唇をすぼめる。俺の口からタバコが落ちた。キスするのかと思うほど唇を俺のそれに近づけたかと思うと、女はふっと息を吹きかけ、そして元の位置に腰掛けた。 「おまじないをかけました。もうタバコは吸わないように」 「何言ってんだ、タバコを吸ったら呪われるとでもいうのか」 俺は女をにらみつけた。一分ぐらいたっても女は何も言わない。イライラしてきた俺はまたタバコをくわえた。ライターで火をつける。何事も起こらない。俺は煙を肺一杯に吸い込もうとした。 「駄目じゃない、タバコ吸っちゃあ」 急に俺の目の前に浮かんだ妙な物がそう言った。そいつは人間の形をしていたが二十センチ程の身長しかなく、その上白い羽根が背中に生えていた。 俺はまたタバコを落としてしまった。 その生き物はよくファンタジーなんかに出てくる妖精みたいなものだった。違うのは妖精はだいたい裸だが、そいつはちゃんと普通の現代の洋服を着ているというところか。 「落ちたタバコの火はちゃんと消しなよ。火事になるかもしれないじゃない」 俺は言われるままにタバコを足でもみ消した。 「よろしい、そんじゃね」 そう言うとそいつはタバコの煙のように消えた。 女占い師を見ると 「もう一つ貴方のすべき事は早寝早起きです」 と何事もなかったように言った。 「さっきのアレ見えなかったのかよ」 「アレと言いますと」 「羽根の生えたちっこい妙な奴に決まってるだろ」 「何をおっしゃているのか分かりかねますが」 「アンタがおまじないとかかけたから出てきたんじゃないのか」 「私のおまじないはタバコを吸えなくするというものです。もし煙を吸おうとすると激しく咳きこんでしまいますよ。お気をつけ下さい」 どうもさっきのアレはこの占い師には関係ないらしい。じゃあ一体何なんだ。 なんだかケチがついちまった。俺は部屋に真っ直ぐ帰ることにした。 「もしもし、見料をお願いいたします」 占い師の声が後ろで聞こえたが俺は振り返りもしなかった。 翌朝、俺は寝不足で駅のホームに立っていた。 昨夜はアレのせいでなかなか眠れなかったのだ。タバコを吸おうとする度にアレが出てきて邪魔をする。タバコに火をつけると同時に現れて水鉄砲で火を消しやがる。手でたたき落とそうと思ってもタバコの火が消えればアレも消える。何度かそうこうする内にご丁寧にも前もってタバコの箱ごと水浸しにしてあった。箱を手で握りつぶし、ごみ箱に投げ入れ、アパートの外にタバコを買いに出た。しかし自販機の前に行くともう販売中止になっていた。そんなわけで結局昨夜は一本も吸えなかったのだ。 一応キヨスクでタバコを買ったのだが未だに吸えないでいる。何度も吸おうと試みているのだが、その度にアレが出てきて邪魔をするのだ。 満員電車に乗る前になんとかタバコを吸って気分を落ち着けたかったが、結局俺はイライラしたまま電車に詰め込まれた。 「木村さん、なんかご機嫌斜めですね。彼女と喧嘩でもしましたか?」 会社に着くと後輩の小野田が俺にそう声をかけてきた。 「う、うん、ま、ちょっとな」 まさか妖精に邪魔されてタバコが吸えないなんて言えないので、あいまいな返事を返した。 「そういう時はプレゼントですよ。女なんてそれでイチコロです」 あんまり女性と縁がありそうにない小野田がそう言うと、本当のことでも信憑性がなくなる。でもこれ以上コイツにまとわりつかれるのも気に触るので「アドバイスありがとう」と心にもない礼を言って自分の席についた。 もう我慢できん。そう思ってタバコを出して火をつける。周りを見まわしたがアレは現れない。ほっとして一口吸おうとすると、「ブー、残念でした。タバコは百害あって一利なし」と何時の間にか現れた妖精がそう言って火を消してしまった。 会社でも駄目か。俺は諦めて仕事に取り掛かった。しかし気が散って気が散って仕事にならない。これじゃまずいと思い試しに売店で禁煙キャンディーを買ってみた。早速なめてみるとなんとなく気が紛れる。なんとか仕事も出来そうだ。俺はキャンディーをなめつつ午前の仕事をクリアした。しかし午後から客先で打ち合わせがあるのだ。さすがに客先では飴をなめられないので大丈夫だろうかと思ったが、なんとかなるものだ。俺はどうにかタバコなしで一日を乗り切った。 一ヶ月後。万里が仕事が一段落ついたから会わないかと電話してきた。俺は当然「OK」と返事した。 待ち合わせの喫茶店行くと万里が先に来て待っていた。 「久しぶり。なんかちょっと太ったみたいだね」 「そうか。最近飴ばかりなめていたからかな」 「なんで?」 「まぁ話せば長くなるんだけど……」 俺は禁煙をせざる得なくなった訳を話した。 「へぇ、じゃあもうホントに吸わないの」 「ああ、それに妖精に起されるから早起きににもなったしな。なんかそのお蔭か最近体調いいんだ」 「私も一度見てみたいな、その妖精。ね、タバコ吸ってみて」 万里が自分のタバコを取り出して俺に差し出した。 「……いや、吸えない。それにアレは俺にしか見えないみたいだから」 「ふーん」と言って万里はタバコを咥えライターで火をつけた。ふーっと煙を吐いてから、アラというような顔をして万里は言った。 「そんなに嫌そうな顔しないでよ。なんだかあのヘヴィスモーカーだった典之なの?」 「え、そんな嫌そうな顔したか?」 「すっごく嫌そうな顔してたよ」 実際俺はタバコの煙が不快になっていた。万里は俺がそんな顔をしたせいかすぐにタバコを消した。でも彼女はそれほど気にした風ではなかった。 喫茶店を出て食事に行った。 先に食べるのを止めた万里は、俺がまだ食べているのにタバコに火をつけた。 「万里、食事中にタバコ吸わないでくれないかな」 「え、ごめん、ごめん。ついいつもの癖で」 そう言って万里はタバコを消したが、全然悪そうじゃなかった。 レストランを出てバーに行くと、そこで事件は起こった。 万里は飲みながらタバコを吸い出した。まぁ飲んでるので最初は黙っていたが、そのうち我慢できなくなってきた。 「万里、悪いけど俺の前でタバコ吸わないでくれないかな」 「え、何、タバコ吸うなって言うの」 「タバコは肺ガンの原因であることは疑いない。百害あって一利なし。ただでさえ環境ホルモンとかで汚染されているのに、何好んで自ら毒を吸うんだ。子供が出来たらどうするんだ。妊婦の喫煙は胎児に悪影響を及ぼすぞ。生まれてからも乳幼児の前では絶対禁煙だ。母親のタバコのせいで子供が肺ガンになったらどうするんだ」 万里はタバコを灰皿にもみ消して、しばらく顔を下に向けていたが、急に顔を上げると大きな声で笑い声を上げた。 「ちゃんちゃら可笑しいわ。あんだけ自分で吸っといて。だいたい私が吸うようになったのも、典之が四六時中吸ってたせいなのにさ」 俺はぐうの音もでなかった。確かに万里の言う通りなのだ。 俺が今度はうつむく番だった。俺が下をずっと向いているのを見て万里は言い放った。 「なんか、私たち上手くやってけそうにない感じね。私は妖精なんか見えないからタバコ止められそうに無いし。いっそ別れましょうか?」 「何も別れなくても……」 「だって典之、バリバリの嫌煙者になったんだもの」 俺は何も言い返せなかった。 「じゃあね。これ私のお勘定」 そう言って万里は店を出て行った。 俺はなんかヤケクソになってバーボンのロックを何杯もあおった。終電がなくなりそうになってから、したたか酔った状態で外に出ると、北風が頬に冷たかった。 駅に向かう途中、あの占い師を見かけた。 「おい、お前のお蔭で恋人に振られちまったぞ」 俺は占い師に食ってかかった。だが女占い師は妖艶な微笑みを浮かべて言った。 「そりゃ見料をお払いになりませんでしたから」 「何ぃ」 「まぁお辛いでしょうが、貴方の元を去った恋人とは別れる運命だったのです。きっと良い方がすぐに現れます」 「本当か?」 「私は嘘は申しません」 「ま、いっか。どうせタバコ吸う女とはやってけそうになかったし」 俺がそのまま歩み去ろうとすると「見料を」と占い師が言った。俺は少し考えてから安くはない見料を払った。 数日後、確かに占い師の言うとおり新しい彼女が出来た。 あのバーで知り合った女性なのだが、禁煙したら彼女に振られたという俺の話にやけに乗ってきて、実は自分も失恋したから禁煙したとかこっちが聞きもしない話をしたりして、同じ禁煙した者同士としてその苦労や、タバコの害についてなんか非常に盛り上がってしまったのだ。酔いも手伝ってその日のうちにベッドイン。あっちの相性もバツグンによくて一晩でステディな関係になってしまった。 万里と違って可愛い感じのコなのだが、唯一気になるのがあの妖精に顔がなんか似てるのだ。まぁ気のせいだと思うけどね。 了 |
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