ショートショートバトル 5KBのゴングショー第58戦勝者

「卵 -the egg-」

モヲ

 六畳ほどの和室に、一人の男が座っている。
部屋にはこれといった調度もなく、低いテーブルの上に、古くさいスタンドが置かれているくらい。窓は明けられ、畑の方から、風が網戸の隙間を窮屈そうに、流れ込んでくる。
「おい、そこの君」
 声の方へ向くと、隣のダイニングキッチンの椅子に、一人の女が座っていた。
 女はおそらく40代であろう。だが肌には瑞々しさがあり、どこまでも黒い髪は、腰の辺りまでまっすぐにおりている。溌剌として妖艶、そんな不思議な魅力があった。
「そうそう君さ。あのさぁ、ちょっとCD買ってきてくんないかなぁ」
 体が揺れるたびに、ぶかぶかのワンピースの隙間から、女の乳房が見え隠れする。発せられた声は粘性を感じさせ、なんとも気だるい印象。
 気だるいのは男の動作も同じで、しゃなしゃなと畳を擦りながら立ち上がり、ダイニングへ移動する。男が近づくと、女はどこから取り出したのかしわくちゃの千円札を、人差し指と中指の先端に挟んで、ひらひらとやる。そして、もう一方の手を差し出す。手の平には、卵が乗せられていた。
「これ、お駄賃ね。ゆでてあんの。だってさ、ここの卵ってすぐ割れちゃうものね」
 女はそう言って、あははと愉しそうに笑った。男も笑った。
 男は千円札をポケットに入れて、家を出る。眼下には、夕陽に染まった河原が伸び、小さな川がそよそよと流れている。
 ゆで卵を食べながら歩いていると、土産物屋に出くわす。男はそこに入っていく。中には、常連と思われる老人が数人いて、店主と話をしていた。
 しばらく店内を徘徊していると、隅の方に卵が並べられていた。綺麗な、純白の卵だった。男が少しだけ逡巡して、ようやく一つに触れた瞬間、卵は辺りに、きらきらと星の砂を振り撒いて、音もなく割れた。満足そうに微笑み、汚れた手をシャツで拭いながら、男は店を出る。

[前の殿堂作品][殿堂作品ランダムリンク][次の殿堂作品]


[HOME][小説の部屋][感想掲示板][リンクの小部屋][掲示板]