ショートショートバトル 5KBのゴングショー第18戦勝者

「補充しなきゃね」

浅川こうすけ

 水野昌介の鼓動がはやくなったのも無理はない。
 カウベルを鳴らして店内に入ると、木島律子が微笑でむかえてくれたのだから。
「いらっしゃい、昌介くん」
 律子のおおきな瞳がわずかに細まり、長いまつげがかすかに震える。黒髪を首のうしろでひとつにまとめており、ときおりうなじがうかがえるのが艶っぽい。
「まだ開店しないんですか?」
 昌介はカウンターに座り、店内をぐるりと眺めてみた。
 内装工事も終了し、調理器具や食器なども出番を待っているのだが、喫茶<慧>はまだオープンしていなかった。六つあるテーブル席では、もう何日も椅子が逆さに置かれたままだ。
「いくら住宅街の喫茶店とはいっても、わたしひとりだけじゃね」
 律子の鼻にかかった声に顔を正面に戻すと、こうばしい香りに鼻孔を刺激された。いつの間にかコーヒーカップが置かれている。
「店員がひとりはほしいわ」
 律子がすっと目を細め、
「やっぱりかわいい子がいいわね。昌介くんみたいな」
 昌介は照れ隠しにコーヒーを口にふくんだ。
 脳裏に一週間前のことがよみがえる。居間でコーヒーを飲みながらテレビを見ていると、木島律子が訪ねてきたのだ。隣で喫茶店をやるという挨拶だった。店員にならないかと誘われたが、きっぱりと断った――はずなのに……。
「待ってて、いま特別メニューを作ってあげるから」
 と、律子がゆでたパスタをフライパンにのせた。ジュ、と水のはじける音がする。
「気にしないで、もちろん無料よ」
「でも、ぼくはウェイターになる気は……」
「安心して、それとこれとは別」
 調理する手を休めずに、律子が上目遣いで、
「どうしてウェイターになるのが嫌なの?」
「家が隣ですから、恥ずかしいですよ。それに、偏見かもしれませんが、喫茶店ならウェイトレスのほうが絵になるでしょうし」
「そうねえ……。はい、お待ちどうさま」
 すっと、皿が差しだされてきた。カサを開いていないキノコが、緑のソースをベッドにして横たわっている。その長さは、実に十五センチはあった。そして、その下ではパスタが身を丸めている。
「喫茶<慧>のスペシャルメニュー、キノコスパゲティよ」
 白地の皿と緑のソースのコントラストが秀逸だが、名前のほうはしごく平凡であった。
 だが、平凡な理由は察しがつく。それ以外に名前のつけようがないほど、キノコの自己主張が激しすぎるのだ。
「これはとっておきなの。メニューにも載せないつもりよ」
「じゃあ、じっくりと味わって食べますね」
 昌介はフォークにパスタをまきつけ、ソースをからめて口に運んだ。
 次の刹那、両目が見開かれた。
 舌の上、いや、口中にひろがる、これはなんと濃厚な味だろうか。極厚ステーキからにじみ出す肉汁に似ているが、まったく脂っこくない。緑色から淡白な味を想像していたが、これはうれしい裏切り行為であった。
「おいしい!」
 満面に喜色をたたえ、昌介は子供のように目を輝かした。
 律子が満足気にうなずくのを目の隅にとどめたまま、昌介は今度はキノコにも歯を立ててみる。やわらかすぎず固すぎず、シコシコとした弾力で楽しませてくれる。
 焼いたのでは、この歯ごたえはでてこない。おそらく、ベースとなるソースにつけて、弱火でコトコト煮込んだのであろう。してみると、昨日から用意していたということか。
 昌介はじっくりと味わって食べるつもりだったが、しかし口のほうはあっという間にキノコスパゲティをたいらげてしまった。
「ごちそうさまでした。どうしてこんなにおいしんですか? 味の秘訣は?」
「それは秘密よ。でも、昌介くんになら教えてあげてもいいかな」
「ウェイターになれば、ですか?」
「違うわ」
 律子が艶然と微笑んだ。
「奥のわたしの部屋に来てくれたら、キノコスパゲティの秘密、教えてあげるわ」
 吐息が耳をくすぐってきた。ゾクゾクと、電流が背筋を流れる。
 色じかけ、と、わかってはいても、昌介は律子の背中を追った。他の行動は考えられなかった。
 店の奥は居住スペースになっていた。階段をのぼる律子の後を、昌介は金魚のフンのようについて行った。眼前で揺れるヒップのせいか、頭がくらくらする。
「ここがわたしの寝室」
 といって律子がドアを開くと、フローラル系の香がまろび出てきた。
「さっ、善は急げよ」
 律子にてきぱきと服をむかれていく。実際にはゆっくりした動作だったのかもしれないが、頭が脈打っていて、世界が三倍速で動いているように感じた。
 気づいたときには、全裸でベッドに横たわっていた。首をひねって見てみると、ベッドの柱にロープで両手を固定されている。両足も同じ待遇で、×字のハリツケ状態だった。
「あら、まだ起きてたの?」
 視界に、律子の笑顔がはいってきた。
「スパゲティのソースに睡眠薬をまぜておいたんだけど、効き目がうすかったみたいね」
 にんまり笑った律子が、染みひとつない肉切り包丁を真っ赤な舌でなめあげた。
「部屋に来てくれたから、約束どおり味の秘密を教えてあげるわ。秘密は他でもない、あのキノコ自体にあるの。だけど、入手が困難なのよね。さっきのは、わたしが五年前に手に入れて保存してたのを使ったの。使ったら、ちゃんと補充しなきゃね」
 恐怖に縮こまった息子に、律子がギラギラ輝く包丁を近づけた。
「あなたの意見に賛成よ。喫茶店には、ウェイターよりもウェイトレスのほうがピタリあうわ」
「な、なにを……」
 昌介はじたばたもがいたが、ロープが食いこんだだけだった。
 満面に笑みをたたえた律子が、安心させるみたいにささやいた。
「痛くないようにするから大丈夫よ。五年前、わたしのを切り取ってくれたモロッコの医師に、ちゃんと教えてもらったんだから」



(終)

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