ショートショートバトル 5KBのゴングショー第152戦勝者

「5kb」

時計技師……秒針の落ちる音が聞こえる。
                           (ピエール・オットー『箱の女神』)


「さて、五キロバイトで語りましょ」
 カメスキさんの呼びかけは、決まって九時過ぎだった。その頃のメッセンジャーは劣悪で、ログが五キロバイト、二五六〇文字を越えるとを回線ごと切断されてしまうのだった。頻繁に文字化けはするし、ファイル転送はエラーばかり。とんでもないシステムだったけど、それが自然だった。
 人は眠らなければいけない。五キロバイトまでしか会話はできない。作家志望の僕等は、むしろいい練習だと思っていた。二キロバイトでニュースを引用して自分の意見をぶつけたり、一キロバイトでちょっとした反論を試みたり。
 コカコーラのCM戦略、朝顔の育て方、『箱の女神』を映画化する時の監督と俳優。僕等は時に夜中まで、あらゆることを論じ合った。カメスキさんは二秒で応えることもあれば二十分も間を空けることがあった。気取ってウィスキーを舐めながら時間を計ることさえ楽しかった。
 僕等は互いを小説に登場させ、五キロバイトずつ交換した。カメスキさんはマープル夫人ばりの探偵として安楽椅子に納まり、連続殺人犯は彼女の夫だった。カメスキさんの書いた僕はゴルフバッグを担いで密林に分け入り、酋長の娘と恋に落ちた。ピラミッドの奥で甲羅のある山猫が喉を鳴らしていた。カメスキさんはその作品でどこかの一次選考を通過したという。
 盲導犬協会や輸入食品連盟、畜役委員会などで彼女は着々と実績を挙げていた。こまめに情報を仕入れて、とにかく応募を続けていた。僕は新人賞のリストを作り、書き出しばかりを並べてにやにやしていた。ストーリーの修行と称してビリヤードばかりやっていた。
 主人公は作者の白い月影。鋭く突けば火星の脇に潜り込み、弾き出すのは土星の黒。争いと死と……オリーブの六番が土星をかばう。木星が月影と共に息絶える。写せば物語になるはずだった。
 一キロバイト。二キロバイト。ラシャの上で巡るあらすじを、僕はせこせことメールマガジンに載せていた。二年ばかり続いたそのメルマガより、カメスキさんとの付き合いは短かった。
 あの頃、五キロバイトで僕等は何を語り合っていたのだろう。ログに残るのはたわいもない言葉ばかり。
「めっさ楽しい!」
「大体多分適当にね」
「もういい年ですから」
「はははのは」
「五キロバイトでも伝わるよね」
 カメスキさんは猫派で、犬は少しだらしないと言った。それよりも水槽の亀を愛していた。ポッカのレモンを何にでもかけてしまうが、ミニトマトだけは別だった。たまに赤ワインを飲んでいた。二人とも百合が好きだった。永住するなら北海道と決めていた。
 カメスキさんは経済情勢や国際政治をまとめるのがうまかった。日経新聞を隅々まで読んでいるらしかった。いつでも自分の言葉を手放さなかった。三面記事からアイディアを膨らませたり、すぐに感情移入してしまうのが僕だった。冷静になろうとするとすぐ無表情な文になった。何か考えるたびに、何キロバイトで表現すべきか計るようになった。言葉には裏があると思うようになった。
 考え方が違う。生活が違う。知識のベースが違う。あの頃、日が暮れるというのは新しいものに出会えるということだった。
 ふっとオフラインの日が続いて、十月十七日の朝。メッセンジャーで呼びかけてきたのは見知らぬ文体だった。
「私」
「は、カメスキの娘の百合香です。Pさんのことは母から聞いていました」
「母は」
「おととい、なくなりました」
 支柱を爆破されたビルが倒壊するように、僕の頭はキーボードに突っ込んだ。
 どうやって起き上がり、鼻血でにちゃにちゃするキーボードを叩いて娘と名乗る文体から告別式の会場を聞き出したのか。ともかく、僕は昼過ぎに火葬場にいた。出棺には間に合わず、骨壷と写真にしか会えなかった。
「この度は……この度は……」
 夫だという中年に、親戚の老人に、僕はただそう繰り返すだけだった。五十バイトの言葉さえまとまらなかった。喪服は臭くて小さく、後で気づいたけどボタンを掛け違えていた。
 写真のカメスキさんは痩せぎすの、顎のしゃくれたおばさんだった。娘は僕と同じくらいの年だった。薦められるままに箸を動かし、薦められるままに杯を干し。僕の言葉はずっと戻ってこなかった。まるで、カメスキさんを送りに行ったかのように。
 娘は別れ際に『箱の女神』を手渡してくれた。寒々と冷えた空の下、イチョウの葉が駐車場に降り積もっていた。
「母の愛は無償だって言うけど、違うと思う。苦しい思いをして生んだから、自分の子供だからっていう気持ちがあるんじゃないかな」
「でも、子供は違う。親だっていうだけで、ただただ愛してくれるんだよ。あれが本当の無償の愛だと思う」
 カメスキさんと交わしたいつかの会話を伝えようと思ったけど、僕の言葉はまとまらないままだった。
 夜も昼もなくビリヤードを続け、ベンチで眠り。そうするうちに言葉はふっと帰ってきた。的球と一緒にポケットへ落ち込む手球のように、精彩を欠いていたけれど。
 書くことはあきらめ切れなかったが、僕は平凡な就職をした。偶数年ごとに『箱の女神』を持って墓へ行く。
 あの才気、気遣いと隠し持った牙。潔さと負けん気と。語ろうとするとカメスキさんは言葉の端から逃げてゆく。

作者のサイト:http://ssscontest.web.infoseek.co.jp/

[前の殿堂作品][殿堂作品ランダムリンク][次の殿堂作品]


[HOME][小説の部屋][感想掲示板][リンクの小部屋][掲示板]