ショートショートバトル 5KBのゴングショー第14戦勝者

「バーバー高倉20年」

近藤 弘之

30分ほど電車に揺られて、ようやく行きつけの床屋に着いた。
引越したての床屋は、不気味なほどに奇麗だった。


引越し前、ここに通いはじめてから20年が経つ。幼稚園の時、親に連れられて以後、常連になった。
設備は他所よりも悪かった。鏡には、時々大きな蜘蛛がとりついていた。
それでも、散髪する場所となると、多少、不便で汚いだけでは、他所には移れなかった。
なぜこんな床屋へ、親が連れてきたのか。
おやじの代から通っていたというせいもあろう。腕がいいためでもある。
だが、何より安いのだ。近くには相場より半額の美容院もある。しかし、おやじは「美容院など男の行く所じゃない」などと言う頑固者であった。
床屋の名前は「バーバー高倉」という。看板にも、「BARBER」ではなく「バーバー」と書かれていた。しかも、その看板さえ「バー」が壊れ落ちて「バー高倉」になっていた。
その故障は、あながち間違いではなかった。
夫婦で経営しているのだが、旦那は無類の酒好きだった。店内は、一見うらぶれた床屋なのだが、鏡台の下やトイレの横など、酒瓶が所狭しと並んでいた。ワイン、ウイスキー、日本酒、ビール。
なんでもそろっていた。
それで常連の私などは、行けば必ず飲ませてくれたのだ。
たとえば前髪をつまんだ後、「フゥ、疲れた」などと言って、店の奥からベルギービールを出してきたりする。顔を剃る前に、タオルの蒸し器を開けたと思えば、ぬる燗になった吟醸酒を出してきたりした。

なぜそんな所に入れているのかと聞くと、
「自宅はいっぱいでよぉ。それに、かみさんがムクれんだ」
と弱気なことを言う。
営利目的じゃないぶん、下手な飲み屋よりクセのある酒が飲めた。爽やかな酒もいいが、たまには苦い酒も飲みたかった。しかも、飲み代は散髪代の千円だけで済んだ。高校時代も、よく友達を連れて行ったものだった。
散髪の腕もいいし、酒も旨い。
ただし、大人が彼の店で散髪してもらうには、こなさなければならない儀礼があった。
彼は、散髪を始める前、自分の腕と、カミソリと、客の頭に、口に含んだ"どぶろく"を吹きつけるのだ。
なんでも、血の巡りが良くなって、巧く散髪できるらしい。
私も15を越えた時からやられていた。一番最初は、何をするのかと怒ったものだが、やはり、引越して、一旦通うのをやめるまで、慣れなかった。
だが、幼い頃から十何年も通えば、実の親より親子の情が湧いていた。どぶろくを頭にかけられるくらいは我慢できた。
そして通いはじめて19年。「バー高倉」は無情にも、地方に引っ越していった。気候が酒にいいのだと言っていたが、町中での経営が成り立たなくなったのは一目瞭然だった。酒を飲まされた子供の親が怒鳴り込んでくることが、しょっちゅうあったのだ。
私は唯一の酒屋を失った。近所には他にも床屋があったが「高倉」がなくなっても、行く気にはなれなかった。
私は数ヶ月の間、自分で髪を切った。しかし、時が経つにつれ、それも面倒くさくなっていった。
髪は伸びて、肩まで垂れた。さすがにそこまで伸びると切りたくなって、また数ヶ月、自分で切るようにした。だがやはり、面倒くさかった。
今日になって、私は引っ越した「高倉」に行くことに決めた。電車を使ってでなければ行くことはできなかったが、そうしなければ散髪ができない体になっていた。


引越し後は、とうとう妻の尻に敷かれたのか、店主の様相もこざっぱりとしてしまった。
家も大きくなったらしく、酒類も店内に氾濫することはなくなった。
どぶろくの洗礼もなくなって、店の雰囲気はがらりと変わってしまった。
それでも私は、寂しさと違和感を感じながら、看板まで作り替えた「BARBER高倉」に通いつづけなくてはいられない。
今日も、不気味なほどに清潔な入口から店内に入って、「いつものやつ!」と店主に声をかけた。

(了)

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