ショートショートバトル 5KBのゴングショー第117戦勝者
sleepdog
窓辺に見慣れない色があると思ったら、オニヤンマが網戸に齧りついていた。黒光りする脂肌と黄色の縞模様。よく見れば、背中に何か豆粒大のものが乗っている。それは、八重歯みたいな角を生やした小さな赤鬼だった。 「お前はこの家の者か」 「――そうだ」 不機嫌に答えた。ここは三階の私の書斎だ。家には私ひとりだけ。妻は先週から実家に出かけたまま、結局帰って来ない。ここ数日間、私はそうめんや蕎麦だのばかりを食べていた。 「お前の家の墓が荒れている」 「なにっ、どうして」 「この前の盆に山盛り花を生けたろう。あれが枯れて襤褸襤褸になっている」 なぜそんなことを鬼がわざわざ知らせに来るんだ。そんな面倒まで見るようになったのか。現世の者がだんだん不義理になってきた裏返しのように感じられた。 「なんでこの家だと分かったんだ?」 「閻魔帳には何でも載っている」 そう言って、赤鬼は(彼にとって)ポケットサイズの黒革の帳簿を自慢げに見せた。手垢まみれの帳簿から、つんと黴臭い本物らしき匂いがした。なるほど、墓を掃除しろとは婉曲的な言い回しで、本当の目的は掃除のことでなく私の余命を宣告しに来たんだな。 「――そうか。なら、俺はいつ死ぬんだ」 単刀直入に尋ねると、赤鬼は軽く腕組みをした。 「関係なかろう。その前に墓を掃除しろ」 「墓が汚れてると何かまずいのか。あ、まさか早く死ぬのか!」 「だから関係なかろうが。お前の先祖らもそこまで短気ではない」 短気な先祖を持つと早く呼ばれるのか。適当に聞いたことなのに、思いがけない返答に背筋がゾッとした。赤鬼は私の関心が脱線したのを見透かしたように、渋い面構えで言いとがめた。 「余計な話はいい。とにかく自分の家の墓が荒れてるんだ。早く支度しろ」 どうやら本当に墓掃除の件らしい。先祖が鬼たちに懇願したのだろうか。この小さい赤鬼はそうやってこちらに遣わされたのかもしない。ずいぶん気配りの行き届いたあの世だな、と妙に感心する。 「わかったが――」 私はそれに継ぐ言葉にしばし窮した。 「すまんが、家内が出てったんだ。……困ったな」 「腰の重い人間だな」 横から小言をかけられて、私は閻魔帳に目を留めた。 「すまない。一緒に探してくれないか」 「なにっ、女房をか?」 赤鬼はいそいそと閻魔帳を小脇に隠す。私は苦笑し、白髪がちの頭をかいた。 「いやいや、ほうきと雑巾だ。家内がいないと、どこにあるかも分からんのだ」 |
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