「かに玉が食いたい」
TVの競馬中継に顔を向けたまま洋司がいきなりそう言った。
「え?」
あまりにも唐突だったので私は彼の顔を見て聞き返してしまった。
「いや、今夜の献立はかに玉だなと」
「なんで?」
「なんでも」
洋司はたまにこういう自分勝手なことを言う。いつも私は年下の恋人のワガママを聞き入れてしまう。本当はこういうのをハイハイと受け入れるのは二人の関係を続けていく上でマイナスなのだと思っている。でもそれを突っぱねる勇気が私にはないのだ。
「卵はあるけど他の材料がないよ」
「じゃあ、永谷園のかに玉の素でも買ってくるよ」
永谷園……。最近はシズル感とか言ってズルズル音を立ててひたすら食べるシーンだけのCMを流しているあの永谷園か。私はあのCMが好きじゃない。どうしようもなく下品だと思うのだ。
そんな事を考えている私の目の前に、にゅっと手が伸びた。
「お金。買ってくるのにいるだろう」
自分で金出そうという気がないのか、こいつ。ちょっとムカッときながらも財布を手に取る。千円あれば材料は全部買えるな、と思って開いた財布にはあいにく細かいのが全くなかった。福沢諭吉一枚きりの財布を前に逡巡している私を無視して、洋司は財布を取り上げた。
「どうせ釣りとか細かくなるから財布ごと持ってくわ」
私が呆気に取られてる間に洋司は部屋を出て行った。
洋司が出て行ってから、ちゃんとした材料を買ってきてと頼めばよかったという思いが私の頭を占領した。永谷園のかに玉の素だけで作ったって不味くはないだろうけど、これは美味いというものには程遠い代物になるだろう。あの贅沢者の洋司がウンと首を縦に振るとは思えない。でもそうするとどうしてもカニ缶ぐらいは要る。あれは確か一缶千円ぐらいするはずだ。それは給料前の私には致命的な打撃を与えるだろう。まぁいまさら色々考えてもしょうがない。私は洋司が帰ってくるのをTVを見ながら待った。
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