ユーフォリア 愛と欲望の果てに (サンプル版)


作:鳴海昌平

 翌朝からは昨夜の感傷などなかったように、貴博は相場に集中した。
 前場で買いを一〇件、売りを八件、合わせて二〇〇〇万ほど稼いだ。
 後場が始まるまでの間に昼食を取るために、PCのあるトレーディングルームを出て、キッチンに向かった。彼がこのマンションに決めた理由のひとつは、そこが使い勝手のいいシステムキッチンになっていたからだった。
 冷蔵庫を開け中をのぞくとトマトが目に入った。
 ツナとトマトのパスタでも作るか。
 パスタを湯がくための鍋を取り出してコンロにかけた。トマトの皮を剥いて、ざく切りにする。フライパンを熱してオリーブオイルを入れ、そこにちぎった鷹の爪を入れる。油が熱されてきたらそこにトマトとツナ缶を入れて炒める。その間に五分でゆであがるパスタを隣のコンロで湯がく。
 ものの一〇分でパスタはできあがった。皿に盛ってキッチンのテーブルで食べる。
 うん、悪くない。
 貴博の父親は八〇年代の終わりのバブルで破滅した。
 父親は小さな貿易会社を経営していて、貴博は子供の頃、何不自由ない生活を送ってきた。母親は料理は上手かったが、世間知らずのお嬢様で、父親の会社が倒産し、借金取りが次々と家に押しかけてくるようになると家から逃げ出していった。貴博には弟が一人いたが、母親は二人とも残して去っていったのだった。父親は借金取りに追い回される生活に耐えられず、ある朝、風呂場で首をつって死んでいた。
 両親がいなくなり残された姉妹は、父親の兄の家に引き取られた。伯父は独り者だった。彼は非常に厳しい人で、貴博と弟にそれまで受けたことのないような躾をした。家事は家にいるお前達姉妹の分担だ、と伯父は言った。その日から貴博は慣れない手つきで料理を作るようになった。弟には掃除と洗濯を任せた。日々の献立を考えるのは大変だった。でも伯父は食べ物にあまりうるさくない人だったので、幼い貴博の作ったものも黙って食べてくれた。
 料理も毎日作っていれば慣れてきて、色々試してみたくなる。貴博は本屋で立ち読みした料理本やTVの料理番組を見て覚えたメニューを作ってみた。伯父は目新しい料理が出ても「新作か」とだけ言って黙々と食べた。今思えば彼のそういう不器用なところが独身だった原因かもしれないと貴博は思う。

 中休みが終わって後場が始まった。PCの向こう側とこちら側で静かな、しかし熱い戦いが繰り広がられていた。貴博もこの間失ったものを奪い返すためにその熾烈な世界に挑んでいった。

 三時になって相場が終了した。後場の取引では出たり入ったりで前場ほどの儲けはなく、結局、一日の利益は一四〇〇万というところだった。
 PCのスイッチを切ってトレーディングルームを出た。リビングに入ると、取引中は吸わないタバコを手にとり、ジッポーで火を着けて一服する。
 まぁ今日はついていたと言えるだろう。天井のほうへゆらゆらと立ち上っていく紫煙を眺めながら貴博は思った。
 その時、電話が鳴った。ナンバーディスプレイを見ると「愛の手」からだった。
 あゆみからか? そう思いながら受話器を上げ耳にあてた。
「貴博、これからちょっと会えないか?」
 優二からだった。
「ああ、いいよ。ちょうど今仕事が終わったところだしな」
「それは良かった。あの……いや、会ってから話そう」
 込み入った話のようだ。貴博は電話ではそれ以上聞かず待ち合わせ場所を確認して電話を切った。何の件だろう? 昨日あゆみが言ってた役所とのトラブルか。
 貴博は薄曇りのような心持ちで部屋を出た。

 待ち合わせ場所の池袋駅の地下のスターバックスコーヒーに貴博が行くと、既に優二は来ていてコーヒーを片手に深刻そうな顔をしていた。
「よう、久しぶり」
「本当久しぶりだな」
 そう返す優二のスチールフレームの眼鏡の奥の目が何かに脅えているようだった。
「どうかしたのか」
「実は……厄介な男たちに「愛の手」が脅されてるんだ」
「厄介な奴らって……やくざか?」
「そういう分かりやすい輩ならまだ打つ手はあるんだ。相手は資金面でうちを閉め上げてきていて……」
 そう言いながら優二は唇を噛んだ。
「心当たりは……ないわな、そんなもの。でも一体全体何が目的で優二のところを狙ってきたのかな」
 優二は見えないものを見ようとするような表情を浮かべて考え込んだ。
 しばらくして
「資金的な閉め上げっていうのは?」
と貴博が聞くと、その言葉に視線を貴博の顔に戻した優二は呟くように言った。
「納入業者が支払条件を急に厳しくしてきたんだ。それでかなり資金的に苦しくなっている」
「理由は?」
「はっきりとは言わないんだが、誰かにそうしろと言われたようなニュアンスで……」
 深刻そうな優二の顔を見ていると、貴博は父が相場に失敗した頃に浮かべていた表情を思い出した。あの頃、父はそれまで確かに見えていた何かが急に目の前から消え去ってしまい、それで途方に暮れたような顔をしていた。それは幼かった貴博にもその深刻さが伝わってくるものだった。今の優二の表情には、その時の父ほどでないにしても、はっきりと以前とは違う欠落ようなものがあった。
「よし、俺が資金はなんとかする。その間に優二は別の納入業者を見つけてくれないか」
「いいのか?」
「親友だろ、俺たち」
 優二は黙って貴博の両手を握り頭を下げた。
 その様子を黙って見ている貴博には別の思いがあったが、口にはしなかった。



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「ユーフォリア 愛と欲望の果てに」

発 行 日:毎週月曜日
発 行 元:1999年とショートショートワンダーランド(1999+SSWL)
http://www.1999sswl.com/

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