「私立探偵 鮫島吾郎」 独自配信システム版

 「私立探偵 鮫島吾郎 1」

  −我が人生最大とは言わないが、ここ数年では最大のピンチかも!?−

作:鳴海昌平

 鮫島はピンチだった。
 しまった。やはり昨日の夜スイカを食べ過ぎたか。そう言えばスイカの前に天ぷらを山ほど食べたのがいけなかったか。それにしてもあの穴子は美味かった。
 昨夜、鮫島は常連の依頼人である消費者金融山源の社長に呼び出された。報酬をいつも、「端数は切り捨てろ。本当の男ならそうするもんだ」とか言って人の金のせいか、町金の親父にあるまじきアバウトな理由で値切る社長が、いつになく気前よく屋形船なんか出してくれて、その上コンパニオン呼んで大騒ぎ。江戸前の天ぷらがこれまた美味くてついつい食べ過ぎてしまったのだった。お土産によく冷えたスイカを一個もらったのだが、鮫島のションベン臭い新宿のボロ雑居ビルの事務所兼住居の冷蔵庫はあいにく三週間前に壊れてしまっていた。それで無理して一個まるまる食べてしまったのが、やはりそれがいけなかったのだろう。昔の人の知恵は聞いておくものだ。しかし後悔しても遅かった。
 今、鮫島は山源の社長の依頼にもとづきある女性を尾行している最中だった。年の頃は二〇前後。そのすらりとしたしなやかな身体の持ち主は目的地に向かって足早に歩いていた。山源の愛人だが他に男がいるのではないかと親父は疑っている。
 きっと男に会いに行くに違いない。長年培った職業的感がそう告げている。ここで見失うわけにはいかない。だが、しかしもう私の肛門括約筋は限界にきている。こんな所で漏らしたらいつもダンディな私立探偵で通っている私の面目丸つぶれだ。
 鮫島は額に汗をにじませ、腰を妙な角度で右に左によじらせながら女性の後をなんとか付いていっていた。だが、便意をこらえながら歩く鮫島の視界から徐々に女性は消えていきつつあった。幼児がそんな鮫島のことを「あ〜」とよだれを垂らしながら指さしていたが、母親が怪しい人間と関わり合いになっては困ると、その子を抱え上げて離れていった。だが、そんな事は鮫島の知る由ではなかった。
 むむむ、もう追いつけない。まぁ今日じゃなくてもまたチャンスはあるさ。今はまずトイレに行かなくては……。
 鮫島は目に付いたファストフード店に駆け込んだ。店員が鮫島に向かって「いらっしゃいませご注文をどうぞ!!」と営業スマイル、スマイル。鮫島は思った。スマイルは無料というがハンバーガー代に当然バイトの賃金も含まれてるはずなのに何がスマイルは無料だ。これは一種の欺瞞だ。
 しかし今はそんなトイレットペーパーの代わりにすらならないことを考えている場合ではなかった。鮫島は店の隅のトイレに急行した。
 しかしあいにく店のトイレは清掃中だった。これで苦しみから開放されると少し気が緩んだせいで、尻の穴も緩みかけていた鮫島には非常に厳しいものだった。
 ぎゅるるるるるる。
 鮫島の腹が鳴った。もう限界か。しかし鮫島は不屈の闘志で便意と戦い次なるトイレを探しに旅立った。
 次の牛丼屋にはトイレがなかった。次のコンビニのトイレは使用中だった。その次のスーパーマーケットのトイレは改装中だった。
 トイレが改装中で使えないって一体どういう事だぁぁぁ。
 鮫島は持って行き場のない憤りと便意にもんどり打った。
 遂にたどり着いたオアシス。それは町はずれの公園の公衆便所だった。
 清掃中でもなく改装中でもなく空いていたが、汚さが半端じゃなかった。バキュームカーがバナナの皮一〇〇枚の上で滑って横転し、タンクから汚物があふれ出た現場のような汚さだった。鮫島は使う人間のモラルの低さに怒りすら覚えた。しかし今はそんなことをいってる場合ではない。緊急事態なのだ。
 細心の注意を払って鮫島は用を足した。
 長きの苦しみから開放された鮫島はひどい悪臭にもかかわらず至福の瞬間を感じていた。
 最近数年間で一番のピンチは脱した。しかし鮫島は尾行に失敗してしまった。このままでは山源の社長にどんな風に罵倒されるか分からないが、まぁあの女はこの一週間の間にまた尻尾を出すはずだ。そこを押さえれば問題なしだ。結果オーライが鮫島の人生訓だった。
 信じ難き汚さの公衆便所から何事もなかったように出た鮫島は、公園のベンチに座ってピースを一本取り出して吸った。安息の一時だ。
「おいみんな来いよ。このオッサンウンコ臭せぇぞ」
 いつの間にか唾棄すべきガキどもが蟻のように集まってきていた。ふと見ると細心の注意を払ったにもかかわらずスラックスの裾に便が付いていた。
 ガキどもは口々に「ウンコ、ウンコ」とさえずっている。
 鮫島はホープでもたらされた安息を壊されたことに憤慨し怒鳴った。
「クソガキども、ウンコの一つや二つ付いてたって何が悪い。貴様らみたいなおむつが何年か前に取れたようなクソガキにごちゃごちゃ言われる筋合いじゃねぇ。開いた口がふさがらないようにしてやろうか」
 懐からモデルガンのコルトガバメントを取り出して一番近くにいたガキの口に銃口をつっこむ。騒いでいたガキどもは一瞬にして沈黙し逃げ出した。
 ふ、ガキには甘い顔をしては絶対にいけない。奴らには大人に対する恐怖を叩き込まねばならないのだ。
 新たなピースを吸っているとまた腹の調子が悪くなってきた。鮫島はまたあの惨状の中に不本意にも入り込むことになった。
 今度こそOKだと思いながらトイレを出るとイカツイ連中が鮫島を待っていた。
「うちの息子を手荒に扱ってくれたそうだな。礼をたっぷりさせてもらうぜ」
 問答無用のボディブロウを何発か食らった時、鮫島はまた強烈な便意を感じた。こいつらに殴られながら失禁なんて、もうこの裏世界ではこれ以上ないくらいの笑いものになるだろう。脱糞すれば殴り殺されることはないだろう。だが、それは私立探偵鮫島吾郎の死を意味していた。
 鈍痛とぎゅるぎゅるぎゅるという便意と闘いながら、いつになったらこのゴロツキどもの気が晴れて解放されるのだろうかと必死な思いで耐えている鮫島だった。あと四,五発食らったら脱糞するだろう。もう九割方私立探偵鮫島吾郎は死んだも同然だった。果たして鮫島は漏らさずにこの危機を乗り越えらるだろうか?



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「私立探偵 鮫島吾郎」

発 行 日:毎週月曜日
発 行 元:1999年とショートショートワンダーランド(1999+SSWL)
http://www.1999sswl.com/

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