ショートショートバトル 5KBのゴングショー第89戦勝者

「死んでくださいっ」

LL

「とりあえず死んでいただけませんかっ?」
「……なんだと?」

 アパートのドアを開けると、目の前には真っ黒な服を来た小柄な少女。うららかな日曜日の午後。新聞の勧誘か宗教の案内かと思ったらこれだ。
 俺は都合のいいことに新聞を取りたかったし、宗教に悩みを相談したい気持ちでもあった。引越しと初めての仕事で、気分が滅入っていたところなのだ。友達もいないし訪ねてくる人間は限られている。財布をポケットに入れて玄関に向かったんだ。
 だというのに。
「さっそくですが、死に際のプランも用意してきているのですっ! 飛び降り首吊り服毒死から一酸化炭素中毒までなんでもござれなのですっ! いかがでしょうかっ!」
 あんまりだ。
 泣けてきた。
 落ち込んではいたが死ぬ気はなかった。癒し系グッズでも買ってこようと思っていたんだ。たが、こうも率直に爽やかな顔で「いかがですか?」と言われると、「ひとつお願いします」と返事してしまいそうになる。ひとつもなにも、ひとつしかないのに。
「よろしいですかっ!?」
「い、言ってない言ってない!」
 慌ててブンブン手を横に振る。
「あれ? 気のせいでしたか。しかしそもそも納期を越えていますので、急いだ方がよろしいですよぉ? 冥府庁の心証も良くなりますしっ」
「……あの、なんの話?」
 さっぱり見えてこない。この少女がなにを言いたいのか。
「強化月間なのですよっ!」
 きっぱり。
 ぴかーっと笑顔。
 ……殴っていい? とても殴りたい。
「わわわわわダメですよっ! 殴られたら痛いのですっ!」
「…………」
 筒抜けだ。理屈はわからないが、どうやら筒抜けのようだ。というか、この握られた拳で悟られたのかもしれない。

「とにかくですよっ、もはやアナタの生命期日は一定期間を過ぎ、大幅に契約を超過しているのですっ。死亡勧告通知も出したのですが実行されなかったようですねっ! こちらは幸福を提供したのですから、その対価である命を支払ってもらわないと契約違反になるのですよっ。でもよくいらっしゃるんですよね、この段階にまできて"やっぱり死にたくない"とかいう人。だめだめですよ。そんなの通用しないのです。約束事はちゃんと守っていただかないと。それにこっちだって商売なんですから、もらうものはキチンともらわなくてはやってけないのです。さぁ、理解されたら一刻でも早くここから飛び降りるなり首を吊るなりして、その軽い命を絶っ――」
「い・い・加・減・黙・れ」
 親指を口に突っ込んで、みにょーんと左右に引っ張る。
「い、いひゃいいひゃいれふっ! くひをひっはるとくひがのひるのれふっ!」
「俺は死ぬ気はない! 契約した覚えも超過した覚えもないし、そもそもなんなんだその死亡勧告通知ってのは! 暗殺結社かお前らは!」
 ぱぱっと俺の手の中から抜けだし、ごしごしと口元を拭う。案外身のこなしが素早い。俺の親指には少女のよだれがついた。
「お、往生際が悪い人ですねっ! 石橋徹様っ! ちゃんと3月21日付けで契約なさってますよっ! ほら、この書類に……バッグの中にあるのです……直筆のサインで――」
 ごそごそとしゃがみながら、真っ黒な鞄をあさり始める。忙しい娘だ。
 いや、それよりも。
「なに?」
「あ、あったのですっ! ここです、ここを見てください。字、読めるですか? 読んであげましょうか? これは"4月27日にちゃんと死にますよ。死ななかったら殺してくれても結構ですよ"と書いてあ――」
「じゃなくてさ」
「――るのです。まだ言い訳しますかっ!」
「聞いてくれ。いいから黙って。……俺の名前、川浦なんだけど」
 静止画のように世界は固まる。
 約3秒の間。
「……なんですと?」
「石橋は、あっち、隣」
 人差し指で真横を差す。ここらかではちょっと角度的に見えない。
 引きつった顔で状態を後ろにそらし、横目で隣の部屋を覗き見る彼女。
 完全に腰が引けている。
「俺、引っ越してきたばっかりだから、表札とかはまだ張ってないんだ」
「あ……そ、そうでした、か……。あ、あはははは……は」
 乾いた声だった。冷や汗もとめどもなく流れてくる。

 可哀相なぐらいひとしきり狼狽したあと、ピタリと笑い顔を止めて、今度はかなり切迫した表情に変わる。さらに胸倉でもつかまんばかりの勢いで俺の顔面に迫ってきた。
「い、今の話、ぜんぶ忘れてくださいませんかっ! お、お願いしますっ! ど、どうかこの通りですっ! でないとわたし――こ、殺されちゃいますっ!」
 な、なんだなんだ?
 あまり必死さに、こっちが圧倒されそうになる。
「う、うん……いいけど、別に……」
「ほ、ほんとうですかっ!? ぐすっ、ありがとうございますっ! あなたはよい人なのですっ! 一生恩に着るのですっ!」
 やめてくれ。それは逆に迷惑だ。
「あ、それでは急ぎますのでっ!」
 言うが早いか書類を鞄にしまい、直立したままペコリとお辞儀をして「お騒がせしました」と丁寧に扉の前から去っていく。パタンと閉じられるドア。あっという間の出来事。
 玄関は静けさを取り戻す。
 俺は数秒間そこに立ち尽くした。
 いくらかして。
「とりあえず死んでいただけませんかーっ! 石橋様ーっ! おられますかーっ!」
 ドンドンドン。ドアを叩く音。
「…………」
 ええと、まぁ……それはいいとして。
 そう、癒し系グッズ買ってこなくちゃな。
 切実にそう思った。

 

 

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