ショートショートバトル 5KBのゴングショー第67戦勝者

『遅れたバスを待っている』

鈴葉 恵

 戦争の傷跡は、当分癒えることはないだろう

 私はひび割れたアスファルトの上を歩いていく
 時おり、クレバスのような裂け目を跳び越えることもある
 廃墟のようになってしまった今の街を良く言う人は、当然いないけれど、
 意外と私は気に入っていた
 車が走れなくなったせいで、空が生気を取り戻したから
 どの宝石よりも綺麗な青は、いつまで見ていても飽きない
 湧き上がるような入道雲に、私は少し笑った
「舐めたらきっと甘いだろう。」と言った昔馴染みのことを思い出したからだ

 私が彼に出逢ったのは、そんな夏のことだった

 その日もいつものように、波打つ道路の上には人影がなかった
 私の足元でスニーカーが細かな石を砕き、
 その音に彼はこちらを見た
 かつてバス停だった空色のベンチに、彼は座っていた
 背筋をしゃんと伸ばしたその老人は、
 しわだらけの顔に、穏和な笑みを浮かべて、
 軽く会釈した
 私もつられて微笑んで、あいまいに挨拶をしたような気がする
「バスを待っているのですか、」
 と、私が冗談まじりに聞いてみると、彼はこう言うのだ
「ええ、時間通りに来たためしがないから、困ります。」

 私達の出逢いはそんなふうで、
 私達は逢うたびそんなふうに言葉を交わした

 彼が何をしているのか、私は不思議に思ったけれども、
 特に聞こうとは思わなかった
 ふとした折に想像をめぐらしてみるだけで

 ただ、ある時彼はぽつりと言った
「なかなか来ませんね。」
 彼は本当にバスを待っているのだろうか



 ふと見上げれば、空が高く
 私は秋の訪れをそんふうにして知る
 夏のそれとはまた違う、冴え冴えとした、青

 あの戦争の後、名前の無い草花が増えた
 彼らが、変異したものなのか、
 それとも海を渡ってやってきたものなのか、私は知らない
 夏が去り、あるいは秋が訪れ、
 風が歩くこの道の両手は、
 ホイップクリームのようにふんわりとした花で白く飾られた

 その頃の私は、彼と話をするのを楽しみにしていた
 彼は穏やかに、詩を読むように話す
 彼の過ごしてきた年月が、言葉に溶けて流れ出すように

 彼は、ある時私に聞いた
「私が何を待っているか聞かないのですか、」
 私は首を横にふり、彼はそうですか、とだけ言った
 彼は本当にバスを待っているのだろうか



 この町では、秋はいつの間にかやってきて、
 いつの間にかいなくなる
 いつの間にか

 名前の無い白い花が消え、
 かわって雪が町を白く飾る季節が、
 昔ながらの鈴の音と共に訪れた

「寒くなりましたね。」
 と私が声を掛けた
「ええ、本当に。」
 私は、年が変わる前に、
 彼に手編みのセーターとマフラーを贈った
 彼は、この道と同じように歪んだマフラーを首に巻いて、
「ありがとう。とても暖かいです。」
 と笑ってくれた

 それから少しして、雪が降った
 私はその日、たまたま用事があって、雪の中、いつもの道を歩いていた
 いつものバス停に彼を見付け、私はひどく驚いた
「やあ、」
 と彼は言った
 彼は古めかしいコートを着て、私の下手なマフラーをしていたけれど、
 やはりその姿はとても寒そうに見えた
「この雪ではバスは動きませんよ。」
 私は彼の手を取って、私の両手で温めた
「今日は雪を見ていたんです。ですが、もう帰ることにしましょう。」
 あなたを心配させてしまったようだから、と彼は言った
 それがいいです、家で暖かくしていてください、という私に、
「雪はいいですね。雪が降り積もった時だけは、この町も昔の姿に戻ります。」
 彼は本当にバスを待っているのだろうか



 雪が解けて、彼の微笑みのように穏やかな陽気が町に降り注ぐ
 しかし、彼はもういない
 春が目を覚ました日に、冬と共に永遠に去ってしまった
 私は、いつもの穏やかな笑みで目を閉じている彼を、
 この道の傍らに埋めた
 彼が握っていたロケットは、私が今も持っている
 その中には、若い頃の彼と、綺麗な奥さんと、
 そして彼女の抱いた赤ちゃんとが写った写真が入れられている

 彼は、本当にバスを待っていたのだろうか

作者のサイト:http://www8.ocn.ne.jp/~kamina/

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