ショートショートバトル 5KBのゴングショー第59戦勝者

「その音はやさしい呪いのように」

武沢 悠

そのBARには窓ひとつなかった。いや、本当はあるのかもしれない。
細長い部屋の四隅は、黒く厚いカーテンで覆われていて、誰にも本当の事はわからない。
天井にはブラックライトが取り付けられている。小音量のピアノジャズが静かに流される。
青白く薄暗い空間。僕はその場所が好きだった。

何か辛い事があれば、僕はいつもその場所にくる。
この店では、誰もほとんど口を開かない。
僕はここでは何も考えない。注文すらろくに考えない。
まるで決められた規則のように、マイヤーズ・ダークラムのロックにライムを落として飲む。
数は決まって3杯。それ以下だと物足りないし、それ以上だとくど過ぎた。

その女性が店に現れたのは、ちょうど2杯目のラムがテーブルに置かれた時の事だった。
ダークブラウンのスーツに身を包んだ、セミロングの女性は小さな声でオーダーを通す。
タバコケースからヴァージニアスリムを取り出し、マーベラスの B Typeライターで着火。
一口目を軽く吹かし、二口目を深く吸い込む。

僕が気まぐれのように彼女の事を思い出すには、それだけで十分過ぎた。





 「その音はやさしい呪いのように」 Yu^ Takezawa





彼女と知り合ったころ、僕はスズキのカプチーノを中古で買ったばかりだった。
軽自動車のオープン2シーター。おまけにオーディオは壊れていた。
馬鹿みたいだと笑う友人もいたが、ちっとも気にならなかった。
わかる人には良さがわかる。そんな車だった。

彼女の第一声も馬鹿みたいな車だった。

「なんだか、背伸びした子供みたいよ。音楽も聴けないし」
「好きじゃない?こういう車は」

国道を走りながら彼女に問い掛ける。
そんなにスピードを出していないのに、彼女の髪は巻き込む風で乱れていた。
彼女はハンドバッグからヴァージニアスリムを取り出して、いつものように火をつける。

「煙がこもる事を心配しないで煙草を吸えるところは好きよ」





それから数日後、僕は近くのカー用品店にオーディオを買いに行くはめになった。
僕はカロテッツァの上位機種を購入したが、やる気のなさそうな店員は言った。

「オープンカーじゃ性能は出せないと思うんですけどねぇ」

取り付けが終わった後、僕は照りつける真夏日の中出発した。
最初にかけた曲はレイモンド・シュガーのmemorysだった。
売れない洋楽を探し出すことにかけては天才的な父親が輸入したものだ。
エンジン音、タイヤの音、風の音。
雑多な騒音の中で、消えそうなほどの囁き声で彼は歌っていた。
通り過ぎていった人や、夢や、記憶にささげる歌を。





別れ話を切り出したのは彼女のほうだった。
話したいことがあるの。助手席に座った彼女はそう言った。

「話せばいいじゃないか」
「運転しながら聞かれるのは嫌なの。どこかに止めて」

僕は国道を外れて、埠頭へと車を走らせた。潮風の匂いと汽笛の音がした。

「ねぇ、別れましょう」
「僕の事が嫌いになったの?それとも、他に好きなやつでも?」

僕は平静を装って聞く。

「そういうんじゃないの。あなたの事は好きよ」

そう言って、彼女は空を見上げる。
雲間からうっすらと見える月を、彼女はじっと見ていた。

「でも、それだけ」

暫くの間、僕も彼女も一言も喋らなかった。
その重苦しい沈黙を破るかのように、彼女はつぶやいた。

「消えてしまっただけなのね、きっと。いつか消えてしまうものが、思ったよりも早く」





3杯目のラムを注文したときに、珍しくバーテンダーが僕に話し掛けてきた。

「最近はどんな感じですか?」
「特にこうだって事はないね。同じような毎日を過ごしているよ。そっちは」

バーテンダーは、3杯目を置きながら言った。

「ついこの間、ゴールドムンドのオーディオシステムを組んで散財しましたよ」
「へぇ、また随分思い切ったんだ」
「そうそう、こんな話を知っていますか」

そういう前置きの元、バーテンダーは語りだした。
物に魂が宿る話だ。特にオーディオは、最初に音を通した曲を一番美しく奏でるようになるらしい。
どこかで聞いたことのある話だ。

「でもね、それだけじゃないんです」
「どういう事」
「そのオーディオに自分の気持ちがこもっているほど、その曲が自分の人生に関ってくるようになるんです。
 オーディオは言葉は喋れません。だから流れる音楽で、その人に訴えかけ続けるんです。
 アメリカではオーディオを購入した人は、最初に幸福をイメージした曲をかけるそうですよ。
 自分が幸せになれるようにってね。こういう話って信じますか?」

僕は苦笑いを返す。

「そういう事もあるかもしれないね」





この世にあるすべての物事は、偶然で片付ける事もできるし、必然だと捉えることもできる。
それでも、重ねた思いが真実か嘘かなんて判断はできない。
ただ確かなのは、彼女は僕の元を離れていき
どれだけ忘れたと思い込んでも、何かのきっかけで彼女のことを思い出すことがある。

それだけの事だ。

永久機関が存在しないように、内燃機関が熱を失いながら進むように
きっと何もかもが消えうせてしまう事が運命付けられているに違いない。
その形を残したままで。

僕のカプチーノからは、今でも同じ曲が流れている。
レイモンド・シュガーが語り続けている。
いつか失われるものや、失ったものについて。

その音はやさしい呪いのように、僕の中の何かを縛り付ける。
その熱が、全て失われた今でさえも。

作者のHP http://www.acc.ne.jp/~fragments/

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