ショートショートバトル 5KBのゴングショー第30戦勝者

「自由な関係」

カーリー

 彼女は、スピードを上げて疾走しているロードスターの助手席に座り、空気抵抗を受けて流れ込んでくる適度に湿気を含んだ風を身体で感じていた。
 8月も半ばを過ぎた、と言うのに、風は冷気を帯び、目前に秋の気配が近づいてきているのだ、と言うことを実感させてくれる。
 彼女はその風を身体で愉しみながら、目では道路脇を疾走する街路樹の眺めを愉しんでいた。オープンカーでなくては愉しめない、肉眼を通したその木々の色彩の流れを、彼女は素直に受け止めていた。
「何を、見てるんだい」
 運転席の方から聞こえてきた男の声を、彼女はさりげなく聞き流す。男の低く、しかしよく通る声を頭の中でリフレインさせ、それと樹木の色彩とを絶妙なバランスで重ね合わせてみる。
「あなたの声は、街路樹の色彩によく映えるわ。あなたは気が付いていたの?」
 彼女のその呟きに似た一言は風の音でかき消されそうに微かではあったが、男には明瞭に聞こえた気がした。
「そう言ってくれたのは、君が初めてだよ」
 男の声が彼の方を振り向かずにいる彼女の耳に届く。嫌みのない優しさを含んだ声が彼女自身を優しく包み込んでくれるのを、彼女は目をつぶって感じていた。
「他の人はどうでも良いの、私がそう感じただけだから」
 彼女は目をつぶったまま、静かにそう呟いた。そう呟くことで、彼女は自分が今、彼の見えない腕に優しく抱かれているのだ、と実感することが出来た。

 しばらくすると雨が降るような気配が一面を覆い、二人は幌を上げるために一旦車を停めた。彼女の見ている前で彼は幌を上げ、再び車を走らせる。
 気が付くと、彼女は深い眠りに落ちていた。彼はまっすぐに前を向きながら、隣で聞こえてきた寝息を聞く。聞きながら彼は、自分の頭の中で彼女の眠っている姿を思い描く。十年以上も友人として付き合ってきた彼にとって、助手席に座って眠っている彼女の姿を思い描くことは、今踏み込んでいるアクセルから足を話すよりも造作のないことだった。
 彼が彼女の事を思い描くとき、彼は必ず頭から足下に向けて思い描くようにしていた。そうすることで、彼の一番好きな、彼女のすらり、とした健康的な脚をゆっくりと愉しむことが出来るからだった。
 シートにもたれ掛かるようにして眠っている彼女。その肩まで伸びたしなやかな髪は、今日は束ねて右肩から前に流れてきている。その髪を枕にするように、彼女の鮮やかな曲線を描く頬がそっと乗っている。小さな卵形の輪郭を思い描く。その表情は、安らぎに満ちている。
 彼はゆっくりと、愉しむように彼女の身体を思い描いた。細身の首筋、そしてなだらかな曲線を描く肩、女性らしさを主張している胸、肉感的な腰。
 薄い緑のスーツに全身を覆われた彼女の身体の、その端正の取れた美しさは、彼が今までに見た多くの女性の中でもっとも美しいと感じていた。

「今日誘った理由を、聞かないの?」
 気が付けば彼女は起きていた。先程よりははっきりとした口調で、しかし何処か甘えるような甘い粘りを含みながら、彼女は彼に尋ねた。
「言いたくなければ聞かないよ」男はわざとあっさりと受け流す。その答えに納得できないのか、彼女は前を向いて口をとがらせた。
「嘘つき。聞きたい癖に」
「ああ、聞きたいよ」
 男は彼女のその拗ねたような声に、思わず微笑んだ。それを見て彼女はため息を付いた。
「あの人がね、『結婚しよう』って言うの」
 『あの人』と聞いて、すぐに彼は一人の男性を思いだした。彼女が付き合っているという年上の男性のことだ。
「あの人は、私のことを解ってない」
「僕だって解ってないさ」
 彼の言葉に、彼女は驚いたようだ。彼女が彼の方に振り向いたのが、彼には前を向いていても感じ取れた。
「いいえ、あなたは解っているわ。解ってないのはあの人の方よ」
「君は僕を高く評価しすぎている。僕はそれほどの男じゃない」
 軽く頭を振った彼の側に、彼女の気配が近づいてきた。彼女の好んで使う香水の香りが鼻腔をくすぐる。
「いいえ、あなたは解っている。私が誰と一緒にいたいか、その事を」
 彼はそっとブレーキを踏み、車を停めた。そして彼女の方を見つめる。彼女は彼を優しく見つめていた。彼は彼女の潤んだ瞳を見つめた。
「その表情をする君を、僕は初めて見た」彼はそう言って、ゆっくりと目を閉じる彼女に近づいていった。

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