ショートショートバトル 5KBのゴングショー第176戦勝者
雨森@
つやつやとした飴色に焼かれた白身魚の切り身には、黄緑色のジュレソースがかかっている。そっとナイフで切り分け、左手のフォークがそれを受け取る。一口大に切断された、メインデイッシュ。 たらり、と滴った黄緑色が、純白のテーブルクロスに一点の彩りを添えた。もしこれが緋色ならば、もっと別の想像が出来そうだ、と僕は心の中で微笑む。 「美味しい?」 僕がまだ魚を口に入れていないと分かっているくせに、彼女はそんなことを尋ねる。僕も魚も無言のままだ。 ほろり、と舌の上で崩れていく白身魚。軽い焦げ目のついた皮の部分に、ソースが程よくからまっている。微かな香ばしさを残して、喉の奥へと消えていく。 「美味しい」 僕は、彼女の質問をそのまま肯定口調で返した。そう、とどこか嬉しそうに笑った彼女は、僕の動作をなぞるようにして魚を解体していく。 そうして、彼女の口から咀嚼音が漏れ始めた。それは決して生々しいものではなくて、そう……例えば、車に乗った時に聞こえるエンジン音のようなものだ。実に自然で、心地よい。 「分からないの」 彼女の唐突な呟きに、僕はほんの少しだけ顔を上げる。敢えて返答はせずに、視線で言葉の続きを促したつもりだ。右手のナイフを魚に突き刺したまま、彼女はまた唇の端を吊り上げた。 「こうして貴方と食事をしているのに、私は孤独を感じているわ。ねぇ、どうしてかしら?」 「それを僕に聞くの?」 「だって、ここには貴方と私しかいないじゃない」 「オッケィ」 彼女の言う“ここ”は一体どこを指しているのだろう、と僕は濁った頭で考えた。世界だろうか。僕がこうして魚を何度も切り崩している間に、全人類が死に絶えるような事件が起こっているのかもしれない。それはそれで素敵なことだ。 言葉を探し、僕は天井から下がったランプの群れを眺めた。規則正しく並ぶ、オレンジ色の灯。 「僕だって、今この瞬間にも孤独を感じているさ。それこそ、思考の根底に染みついてしまったように」 「でも貴方には私がいるし、私には貴方がいるのに、私たちは孤独なの?」 「孤独はね、一人っきりの時に感じるものじゃないと思うな。他人の気配や、息遣いや、喧しい音があって……そんな状況の時に、するりと生まれる。都会の申し子だ」 貴方らしい比喩ね、と彼女はまた笑った。 「孤独は自由で贅沢だよ。孤独でない状況を感じたことがあるからこそ、人は孤独を認識できる。とても価値があるものなのに……その真価を直視せずに、人は孤独に背を向けようと必死で努力する」 珍しく長口上を終えた僕は、グラスの水に口をつけた。砕かれた氷は、無色さを保ったまま揺れている。思い出したように、白身魚と目を合わせるが、もう温かさも存在価値も失った彼は、ひどく大人しそうに見えた。 「じゃあ、孤独には価値があるのね? 孤独を感じる私にも価値はあるのね?」 「……さぁね。僕は嘘を言っているのかもしれないよ」 意地悪にそう言ってやると、彼女は驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。 「失礼します」 近づいてきたウエイターの男性が、空になった僕のグラスを奪い、並々と水を注ぐ。 一瞬見えたグラス越しの彼女は、相変わらずの、綺麗な微笑を浮かべていて。 「とても、美しかったと思うよ」 「え?」 「僕たちの孤独が」 |
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