ショートショートバトル 5KBのゴングショー第169戦勝者

「僕らはいつだって本の虫なのサ」

影山影司

 片眼鏡越しに凝視する。熟練した指先はピンセットにて丁寧に一枚一枚を剥ぎ取り、その表面の光沢を満遍なく光灯の下に晒した。この虫はさほど珍しいものではない。あなたとて、見たことあるはずだ。古本屋でひょいと一冊小説を買って、電車に乗り込む。赤字経営の電車にガタガタ揺られながら頁をめくると、綴じ目に乾涸らびた虫が丸まって居るではないか。
 そう、その虫。すなわち本の虫。

 彼はコレクタの中でも、やや学者に近い位置に居る。
 だから知っているのだが、本の虫は元来「帆の虫」と呼ばれていた。几帳面に折りたたまれ、ピンと立ったその薄皮がまるで青い海原に漂う帆のようであるから呼ばれたのだ。江戸時代、活版印刷と識字教育が庶民にまで広く伝わったことをきっかけに、帆の虫は本の虫と呼ばれるようになった。なぜか。それはそのまま、彼の虫が本を食べるからである。丁度白蟻が大黒柱を食うように、ゆっくりゆっくり、確実に。虫に食われた本はドゥナツのように、不格好なことになる。

 古びた作業台の上で何枚の羽を読み取ったか。寝食を忘れて没頭した作業である。水を飲まねば目が霞む。飯を食わねば指が震え、眠らねば頭が回らぬ。だから、そのためだけにそれらを行った。
 片眼鏡越しに覗いただけではまだ良く分からない。うねうねと歪んだ首を持つ光灯の頭を動かし、羽を照らす。
 ビニルなんかよりよっぽど上等で虹色の羽の表面に、細かなジグザグが浮かぶ。
 本の虫は本を食う。インクの芳香がこびり付いた上質の紙を食い、その情報をそのまま羽に写し取る。極一部の学者、または熱烈な虫狂いのみがそれを読み取ることができた。勿論熟練した技術と、忍耐、それに知識はもちろんのこと、虫の死骸を保存するための高価な液剤、その他設備費。貴族か士族でもない限り、虫狂いは貧しい生活を強いられた。

 もっとも、彼はそんなこと全く意に介さなかった。
 嫁も取らず、親を早くに亡くし、一人で生きてきた彼は
 今までもこれからも、虫の羽を眺めながら年老いていくのだ。
 死ぬときは乾涸らびて、背筋を丸めたまま死ぬであろう。

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