ショートショートバトル 5KBのゴングショー第115戦勝者
浦戸シュウ
仕事をクビになって半年、とうとうアパートも追い出された。お財布の中は五十三円、食料はさっきかじったカロリーメイトが最後だ。今夜からはいよいよ残飯をあさらなくてはならない。段ボールの家に寄りかかったまま、モトキは盛大にため息をついた。 隣の段ボールの家から顔だけ出している奴が口の中でもごもごと言う。 「コンビニ行けば? 余った弁当とかもらえる。顔見知りになると」 むしょうに腹が立ってギロリと一睨みしてやった。見ず知らずの他人に親身になってもらえるような、そんなかわいい性格だったらそもそもクビになっていない。よほど目つきがおっかなかったのか、隣の奴は寝返りを打って背中を見せた。 木陰から出て目の前の噴水広場に向かって歩いた。モトキを見ると人々は歩きながらさりげなく離れていく。 伸び放題の髪はべとついていて重い。ろくに洗いもしない顔には泥がこびりついていてかゆい。よれよれのTシャツとジーンズは染みだらけで気持ち悪い。外からはどう見えるか容易に想像がついた。 モトキが逆の立場だったらやはり避けて通るだろう。だが、あからさまに逃げられるとやはり気分が悪い。一番人が多い噴水広場の真ん中に進むと、モトキを中心にして人が輪になった。 あたりの人はいっさい無視してモトキは石畳に仰向けに寝ころがった。雲一つない秋晴れの空がひろがっている。 モトキはひとりだ。 親はモトキが成人したとたんに離婚してそれぞれ再婚した。モトキがどこで何をしているのか聞いてきたことは一度もない。こっちからも連絡を取っていない。住所を教え合っていないからお互いに行方不明ということになる。 親元を離れてから、ウェイター、ケーキ屋の下働き、掃除屋と何度か仕事を替わった。上の言うことに黙って従うというのがどうしてもできず、つい、いろいろ意見してしまい、結局、煙たがられて追い出される。 まだ戸籍はちゃんとある。生活保護でも申請すれば当座はしのげるはずだが、健康な若い男が請求に行くとネチネチ厭味を言われるといううわさだ。厭味を我慢できるんならクビになっていない。きっと話しているうちにブチ切れるだろう。お役所など近寄りたくもない。 モトキは深くため息をついた。 社会のどこにも、モトキとつながっているものが無い。 目の前が急に暗くなった。 「やっぱり、モトキくんだ」 聞き覚えのない女の声にどきまぎしながら、覆い被さってきた人の顔を眺めた。伸びきったパーマ、でかい輪郭、おおぶりな顔のパーツ。こんな怪獣みたいなおばさんと知り合うような機会はなかったはずだ。なのに、なんだか見覚えがあった。 「何してんの? こんなとこで」 聞かなくてもどんな状態なのかわかるだろうにおばさんはしれっと言ってきた。 「誰だよ。あんた」 ドスのきいた低い声で返した。おばさんの好奇心を満足させてやる気はない。 「しおり」 モトキは記憶の底をさぐってみた。そんなしおらしい名前でこんなビア樽みたいな体格だったら、あまりのギャップに自然と覚えてしまったはずだ。でも思い出せない。 「知らねえな」 目を見据えて返答するとおばさんはペロッと舌の出した。 「あ、ごめん。名乗ったことなかった」 カッと頭に血が昇った。おばさんを睨みつけながら憤然と上半身を起こしてあぐらをかいた。 おばさんはしゃがみこんで、モトキと同じ高さに目の位置を持ってきた。 「ケーキ屋で一緒だったでしょ?」 反射的にハゲおやじの顔が頭に浮かんだ。休憩時間に眠ってたら蹴飛ばして起こした野郎だ。つい蹴飛ばし返してクビになった。ほかの従業員のことはぜんぜん覚えていない。 首を横に振るとおばさんは目尻を下げて唇をとんがらかした。 「薄情ね。毎日、あたしが作った昼飯食ってたくせに」 飯? ここ十年ばかり他人が作った飯など食ってないはずだ。ケーキ屋ではどういうタイムスケジュールだったか思い起こした。そうだ。昼は近所にあるハゲおやじの家に食べに行った。奥さんは支店に出ていて家事はまかないのおばさんが仕切っていた。そうだ。従業員の制服を洗ったり昼飯を作ったりしてくれる人がいた。 顔はどうしても思い出せなかったが、口の中になつかしい味が込み上げてきた。 「クリームシチューのおばちゃんっ!」 「そうだよぉ。へえ。メニューで覚えてるんだ」 おばちゃんは大口を開けて笑った。 「美味しかったからね」 「そっか。じゃ、おばちゃんのシチュー食べにおいで」 社交辞令にもほどがあった。いくら昔なじみだからって浮浪者を家に上げる奴などいるはずがない。モトキは目を逸らした。 「そのうちな」 横になろうとしたら、おばちゃんが目をのぞきこんできた。 「いや、今だ」 「今?」 「腹減ってるだろ?」 減ってないと答えようと口を開いたとたんに腹がぐうっと鳴った。おばちゃんがゲラゲラと笑いだす。 「おいで」 「行かねえよ。食わせてもらう理由がない」 「理由?」 おばさんはきょとんと目を丸めて、まばたきもせずモトキを見つめてきた。 「だって関係ないだろ? おれたち」 「同じ職場で働いたじゃないか」 「それはとっくに切れた関係じゃんか」 「あたしは切った覚えはないよ」 「いや、だって」 「あのね。関係っていうのはお互いが納得してはじめて切れるんだよ。どっちかが相手のことを気にかけている間は切れてないんだ」 おばちゃんはモトキに手を差し伸べてきた。おばちゃんの手は右手のほうへと進んでいく。ろくに洗ってもいないモトキの手首ををためらいもせず掴んだ。おばちゃんの指がモトキの手首に食い込んでいく。おばちゃんは腰を落としてモトキの手を引っ張った。 モトキは前のめりになりながら足をほどいて立ち上がった。並んでみるとおばちゃんのつむじがよく見えた。 「飯くらいいつでも食わしてやるから」 おばちゃんはモトキの手を持ったままスタスタと歩きだした。 モトキはおばちゃんの手を手首からふりほどいて、手のひらと手のひらが合わさるようにつなぎ直した。 |
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