ショートショートバトル 5KBのゴングショー第113戦勝者

「サバランの秤」

森羅万象

 サバランの秤、と呼ばれるものがある。中立と公正を司る神の名をとってそう呼ばれるようになった秤である。重さではなく、価値を計る不思議な秤だった。
 水辺の商都ワラテラ中央の広場に、銀とも白銀ともつかぬ材質でできたサバランの秤は据えられている。野ざらしである。今日も陽の光を受けて眩しく光っていた。秤は誰でも利用できた。誰の許可もいらない。だが広場に乱立する市を利用する客も、商人も、誰も秤には見向きもしない。神は人の想いになど何の斟酌もしないからだ。
 と、そこへ悲鳴があがった。ごった返す人波を掻き分けるようにして男が進み、その後ろを三人の男がついていく。先頭を行くのは禿頭の五アルム(一アルム=約40センチメートル)体躯のいい男だった。
「狼藉王ジオルグだ……」と、誰かがぽつりと言った。
 ジオルグについていく三人の内、一人は残る二人に挟まれ、ひきずられるようにして歩いていた。両腕を後ろで縛られている。よろけそうになると両脇の二人に無理やり立たされた。
 一行は真っ直ぐ広場の中央へと向かっていた。一と二分の一アルム長高の切り出し岩に据えつけられたサバランの秤は、陽の光を反射し、見る者の眼を射抜いた。
 秤のすぐ前までやってくるとジオルグは立ち止まった。同時に後列の三人も歩を止める。振り返ったジオルグは、まるで演台に立った役者のように声を張り上げた。
「おお、若き商人ジョブよ! 貴様、この秤の名を知っているか?」
 両脇をがっちり挟まれた男が、呻くように何かもごもごと口にした。左脇を抑える男が力を込めると、小さな悲鳴がもれた。
「商人ともあろうものが情けない!」朗々と通る声でジオルグが言う。「さきほどまでの威勢はどこへいった、若人よ!」
「……関係ない」かぼそい声だった。「俺はそんな秤は知らないし、知りたくもない」
「冗談を。若いとはいえ商人の端くれ。貴様が知らんわけがなかろう」
 右隣の男がジョブの脇腹を肘で打った。痛みに背をまるめてから、恨めしげな眼をジオルグに向け、
「だからどうした……俺には関係ない」
「貴様のこの」言いながら、ジオルグは右手で皮袋を掲げた。「金だと称する黄金色の砂と、私のこの」左手で腰にくくりつけた細かい紋様の彫り込まれた短剣を取り、皮袋と同じ高さに掲げ、「聖剣とを秤に載せてみよう。そうすれば、貴様の言葉がただのいいがかり――いや、礼を失した蛮行であることがわかろう!」
 ジョブは首を振った。「俺は確かに砂金を渡した。それはおまえの擦り替えた偽物だ」
「まだ言うか!」ジオルグはジョブに近づくと、長靴で脛を蹴った。崩れ落ちそうになる若者を、二人の男が無理やり引き起こした。
「あの金は……あの金は親父が自分を削るようにして作った、大事なものなのに……足りないのなら剣は諦める、だから金を返してくれるだけでいい……それのどこが言いがかりなんだ?」
「いいや、おまえは言った。『その聖剣は偽物だ』と。前途ある商人とみて、格安で譲ってやろうとした私の好意を無碍にした。そこまでは許そう。だが、貴様は今度は金が擦り替えられたなどと、さしもの私も許せぬ暴言を吐いた!」
「……俺は事実を言ったまでだ」
 ジオルグは皮袋を持つ手でジョブの頭を殴った。鈍い音がした。殴られた箇所から血が滲んだ。髪がべったりと張りついた。
「――しかし、私も慈悲の心ある男だ。こちらの勝手で決めては、貴様も納得いかぬだろう。だから、ここまで連れて来た。神の秤、サバランの秤の許まで」
「……その聖剣は本物だし、その金は偽物だ。俺に勝ち目はない。どうして、そんな大層なことをする? 俺に何の恨みがある?」
「恨み?」ジオルグは笑った。「恨みなどあるわけがなかろう。寛容の心を持って、もしかしたら貴様の言うことが正しいかもしれぬと、だったら神にそれを委ねようと考えただけだ。だが、神の裁定には従ってもらう。剣の方に秤が傾いたなら、私はこの場で貴様を斬る。皆の衆、聞いたか! 異存はなかろう! 裁くのは私ではない、神だ。私はただ神の手足となって動くのみだ!」
 野次馬達の間で喧騒が起こった。
 ジオルグは笑みを張り付かせたまま秤を前にした。皮袋を皿に載せた。秤はわずかに傾いただけだった。ジオルグは大笑した。
「これが金か! 金の価値か! 本物の金なら、もっと派手に傾くはずだ、なあ、皆よ!」
 次いで、うやうやしい態度で聖剣をもう一方の皿に載せた。途端に激しい勢いで秤が揺れた。
 載せられた途端、皮袋を載せた皿ががくんと下がり、代わりに聖剣の皿は上がった。皮袋を載せた側はこれ以上振れない位置まで下がりきり、秤の動きは一瞬ぴたりと止まった。今度はゆっくりと均衡を取り戻しつつあった。
 ジオルグが悲鳴をあげた。
 聖剣は浮いていた。宙に浮いていた。
 あわてて聖剣をつかもうとするジオルグだったが、手が触れる寸前で剣は上へと逃げた。その次の瞬間にはさらに上へと、かと思った幾許か後にはもはや見えない領域へと姿を消していた。
 呆然としていたのはジオルグだけではない。ジョブを捕縛していた二人の男もそうだった。その隙にジョブはこっそりと逃げ出し、人込みの中へ紛れ込んだ。
 あの聖剣が手に入らなければ、ジョブの父親は奴隷に、妹は身売りをせざるを得ない。そういう状況だった。だが剣は遥か空の高みへと消えてしまった。金も戻らない。神の計る価値がどうであろうと、ジョブにとっては関係ない話であった。ただ己が生きるために逃げだした。もう家へ帰ることもできない。
 神は人間の抱く価値になど斟酌しない。ならば、俺も神の押しつける価値になど意味を見出すまい、それだけを呪文のように口にしながら、ジョブはひたすらに逃げた。

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