ショートショートバトル 5KBのゴングショー第105戦勝者

「お嬢様はお金をこう使う」

松筆

 そのお嬢様はとても金持ちでした。彼女の貯金通帳には、数えるのもいやになるほどの数字が並んでいます。
 しかし、お金がいくらあっても、手に入らないものもあります。たとえば、愛です。そう、彼女が欲しいのは、彼女専用のホテルでもなく、彼女専用の鉄道でもなく、愛なのでした。愛、愛こそすべてなのです。
 彼女は恋をしていました。相手は、一週間ほど前に彼女の邸宅にラーメンを届けに来た青年です。もちろん、彼女がラーメンなどという下賎な物を食べるはずがありません。使用人達の昼食でした。
 彼は裏口から邸宅までの数百メートルの道のりを、おかもちを押しながらやってきました。裏庭のテニスコートから彼の姿を見つけたその瞬間、彼女の恋が始まったのです。
 しかし、相手はしがないラーメンの出前持ち。お父様がその恋を許してくれるはずがありません。金がないことが癪に障るのではないのです。金の使い方を知らないのが癪に障るのです。一流は一流の金の使い方を知らねばならぬ、というのがお父様の口癖でした。
 あれ以来、彼は家にやってきません。それもそのはず、彼はしがないフリーター。今は他の仕事をしているのです。そのことは調査会社を通じて、彼女も知っていました。
 彼ともう一度会いたい。彼女は切に想いました。彼の新しい勤め先も家の住所も、彼女は何でも知っています。それでも会うことはできません。邸宅の一歩外は誘拐犯と変質者の巣窟なのです。ばあやとじいやが言うのだから間違いありません。
 悩んで、悩んで、彼女はついに名案を思いつきました。
 彼に忘れ物を届けてもらえばいいのです。もちろん、邸宅の外には出られませんから、彼の銀行口座にお金を振り込むことにしました。いくら振り込むか、それが次なる彼女の悩みでした。少なすぎれば気づかれず、多すぎれば不審がられる。あくまで、さりげない額でなくてはいけません。とりあえず、百万円ほど振り込んでみようと思いました。

 一方、青年は通帳に記入された額を見て大変驚きました。下ろしたはずなのに、増えていたからです。機械の故障だと行員に抗議すると、たしかにその額が振り込まれていると言うではありませんか。
 青年は悩みました。彼の一年分の給料が目の前にあるのです。しかし、下手に使うことはできません。そういうお金を使ってしまうと犯罪になるから、返還の要求があるまでそのままにしておきなさいと、親切な行員が教えてくれました。
 しかし、返還の要求はいつまで待ってもありません。目の前にお金があるのに使えない。青年はもんもんとした日々を過ごしました。
 一週間経ち、彼は振り込まれたお金をちょっとだけ借りることにしました。銀行で恐る恐るお金を下ろすと、今度はもう一桁預金が増えていました。青年の困惑は恐怖へと変わりました。見たこともない数字の羅列は、いかにも犯罪の香りがします。
 それでも彼は、振り込み主に連絡をとろうとは思いませんでした。あわよくば、このまま気づかないでいてくれるのではと、小市民らしく考えたのです。
 お金は次々に振り込まれてきます。最初は怯えてた彼も、返還要求がまったく来ないため、次第に大胆になっていきました。最初はすぐに返せる数万円を下ろし、そのお金がなくなると数十万円を下ろし、やがては桁数で下ろす金を指定するほどになりました。

 一方、お嬢様は困惑していました。どれだけお金を振り込んでも彼はやってくるどころか、連絡もとってきません。一度など億のお金を振り込んだのだから、気づかないはずがありません。
 半年が経ち、彼女は認めるしかありませんでした。彼は私に興味がないのだと。三日三晩泣いた後、彼女は送金を止めました。

 焦ったのは青年です。湯水のように沸いてくるお金が止まってしまったのです。かつては億を越えた預金も、今では数百万円しかありません。それは、かつての彼であれば十分過ぎる額でしたが、彼は以前の彼ではありません。車や豪邸の維持費、使用人の給金、彼の生活はもはや数百万円ではなりたたなくなっていました。

 送金を止めてから一週間後、お嬢様の邸宅にひとりの青年が現れました。
 かつて、ラーメンの出前をしていた彼とはまったくの別人です。彼は一流のスーツを着、一流の料理の味を覚え、一流の車を乗り回してやってきました。
 もはや、背中を丸めておかもちを押してきた彼ではありません。彼は彼女と同じ一流に生まれ変わったのです。
 お嬢様は神様の与えてくださった奇跡に感謝し、涙しました。
 これなら、お父様も許してくださるに違いありません。




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