そう言って彼は助手席のドアを開けてくれた。
こんな風にドアを開けてもらったのは初めてだ。エイジはこんな風にしてくれたことはない。
「ありがとう」
私は大きめのシートに腰を下ろした。
彼は運転席に座ると行先も告げずに車を発進させた。
太いエンジン音と共に街は後ろに消え去った。かなりのスピードで走るオープンカー。オープンカーに乗るのは初めてじゃないけど、こんなゆったりしたのは今まで乗ったことがない。
道路標識が頭の上を流れていった。海に向ってるようだ。
しばらく黙っていた彼が思い出したように話し掛けてきた。
「さっき泣いてたよね。どうしたの」
心を針で刺されたような痛みが走った。
「……今日、私の誕生日だったんです。彼氏と食事してあのバーに行ったんですけど、その途中私の友達に会って……」
思い出すとまた涙が込み上げてきた。
「……そのコすっごく綺麗なコなんです。彼、そのコにすごく惹かれたみたいで」
「君みたいなかわいいコを泣かすなんて、悪い男だね、そいつ」
ナンパした相手に言ってる言葉だから本気じゃないのかも知れないけど、嬉しかった。
湾岸道路に入ると周りに高い建物がなくなったので、月が良く見えるようになった。
「月の裏側で会ったって言いましたけど」
「月って地球にはいつも表しか見せてないんだ。だから月の裏側を見たことのある人はほとんどいないんだよ」
「そうなんですか」
「月の裏側ってのは誰も知らない場所っていう意味さ」
誰も知らない場所。そんな所で会うなんて、なんだかすごくロマンチック。
海に着いた。
冷たく神秘的な月明かりが照らす砂浜。私たち以外は誰もいない。聞こえるのは波の音だけ。月の光の中に浮かぶ彼の横顔はシルバーでできた男神の彫像のようだった。
どれくらい時間が経っただろうか。彼が海から視線を外し、私の方を向いた。
「キスしようか」
私は黙ってうなずき、そして目を閉じた。
続き