★モスコミュール★(2/2)

店から歩いて一〇分ほどのところにある翠のアパートに着いたので僕は「じゃあ、また」と言って彼女と別れようとした。
すると翠は
「ねぇ、靖之は飲み足りないんじゃないの? 良かったら私の部屋で飲んでいけば」
と僕を誘った。
僕はどんなものかなと一瞬考えたが、すがるような目つきで僕の顔を見る翠の事が気になって彼女の部屋に行くことにした。

「はい、どうぞ」
部屋の中の二〇型のTVで深夜放送を見ていると、翠がそう言ってテーブルの上に置いたのはロンググラスに入ったカットライムの沈んだ泡立つ黄金の液体だった。
モスコじゃないか。一体どういうことだ。あんな話をした後なのになんでこうなるんだと思いながらも、彼女のことを気遣ってごく普通に断りの言葉を口にした。
「いや、モスコは止めておこう。他のないかな」
「これはモスコじゃないわ。ジンバックよ」
「でもなんか似た感じだから他のがいいな」
「ごめんなさい。今これしかないの」
僕は少し嫌な気分だったが翠がせっかく作ってくれたのだからと一口飲んでみた。
「ホントにこれジンバックかい? モスコじゃないのかい」
「モスコじゃないわ。お願いだから全部飲んで!!」
翠は顔をゆがめてそう嘆願した。どこか精神の安定を失っているように感じられた。これ以上彼女を追いつめるような事は避けるべきだと考えた僕は、言われるままに残りのモスコミュールを飲んだ。
僕が飲みほすと翠は
「お代わり作るわね」
と言って空になったグラスを持って台所に行った。
結局僕は三杯のモスコミュールを飲んだ。
「抱いて」
そう言っていきなり翠は僕に抱きついてきた。抱いてやることで彼女が落ち着くならそれもいいだろうと思い言うとおりにしてやった。
セックスの最中、翠は何度も「好きよ」と繰り返した。
そして最後には「大好きよ、兄さん」と言ったのだった。その一言に僕は凍り付いた。いや、僕の頭の中では凍り付いたと感じたが、身体の方は一層激しく彼女を愛していた。自分が自分でなくなったような感じだった。
セックスの後、翠はもう一度「大好きよ、兄さん」と僕の耳にささやいた。
その言葉が引き金になったように僕は立ち上がり台所に向かった。そして切りかけのライムと一緒にまな板に載っている包丁を手にしていた。
「兄さん、また行ってしまうのね」
背後に立った翠がそう言った。その後どうなるかは想像したくなかったがもう止められなかった。 


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