★モスコミュール★(1/2)

行きつけのショットバーで恋人の翠と飲んでいると不意に彼女が思い出したように呟いた。
「いつもモスコミュールなのね。好きなの?」
「え、ああ。まぁ習慣でね」
翠の言葉に持ち上げたグラスをどこに持っていくか迷ったあげくカウンターに置き直した。
「私には兄がいたの」
「へぇ初めて聞くな」
「三年前に死んでしまったんだけど、彼もモスコミュールが大好きだったわ」
死んでしまった翠の兄がどんな人だか分からなかったのでコメントは差し控えた。
「兄さんは外で飲むときは当然のこと家で飲むときもモスコだった。それでね、ある日家でいつものようにモスコを作ったの。私の分も一緒にね。三杯飲んだ後、ライムを切るのに使った包丁で自分をめった刺しにして死んだわ」
ぞっとする内容の告白に僕は言葉を失った。
「その時以来私はモスコを飲んでいないの。飲んだらいつ兄のようにおかしくなってしまうか分からないから」
そう言って翠は真剣な眼差しで僕の前のグラスを見つめた。そこにはある種の狂気というようなモノが感じられた。
でも僕は場を和ませようと、この種の話を聞かされたときに誰もが言うような事を口にした。
「その話本当なのかい? 翠には悪いけどちょっと信じがたいものがあるよ」
翠は僕の反論を全く気にもとめず話を続けた。
「私は兄が大好きだったわ」
そう言って彼女はカシスソーダを一口すすった。彼女はいつもカシスソーダだ。カシスソーダばかり飲んでいたらおかしくなってしまうという可能性については思い及ばないのだろうか?
彼女はグラスをカウンターに置いてふぅっとため息をついてから話を続けた。
「だからモスコが好きな人を好きになってしまうのかもしれない。でもその人が兄と同じように自殺してしまうんじゃないかといつも心配になるの」
「気にしすぎだよ。お兄さんがそうだからといって僕がそうなるなんてことはないよ」
僕がそう言うと翠はキッとした顔をして僕をにらんだ。
「実際、前の彼もモスコが好きだった。そして彼もモスコを飲んだ後に交通事故で亡くなったわ。警察では自殺だろうって」
なんとも嫌な気分になってしまった。丁度時間も遅くなってきたことだし今日はこれで切り上げて帰ることにした。

ショットバーからの帰り道、翠は
「ごめんなさいね。なんかつまらないことを言ってしまって」
と本当に済まなそうに謝った。
「そんなに気にしなくていいよ。今日は翠はちょっと飲み過ぎたんだよ。だから気持ちが高ぶってお兄さんの悲しい出来事を思い出したんだよ」

つづき


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